辞める事は最終手段として

孤立無業者になってしまう可能性を加味する

孤立無業者、SNEPと呼称される人々の共通している例には何らかの理由があって仕事を辞める、辞めざるを得なくなったといった理由が大半だと考えられる。中には特別明確な理由は存在していないが、転職をしたいと考えて辞めたが、その後の仕事が決まらずに時間だけが経過してしまい、まともな収入もないままただ他人との交流もないままに、自分のからに閉じこもる生活を余儀なくされることとなった、ということもあるはず。また単純に何に対してもやる気がおきず、無為に時間を消費することに対して何の未練もないままに、気付けば無業者になっていたというケースもあるが、これは根本的に仕事に対して意欲がないため、どちらかといえばニートという類に含まれると考えるべきかもしれない。正直、ニートとSNEPの違いについて年齢ということもあるが、そもそもの定義として考えられる年齢層で20歳以上という前提が被っていると、分類するのが難しい人々もいるはず。なんにせよ、社会問題としての規模を考えるのであれば捨て置ける問題として片付けることは出来ないものだと見るべきだろう。

特に仕事をしているが、今の職場に対して不平不満を抱えている人は多いはずだが、進退については慎重に慎重を重ねて考察する必要があるとだけはいっておく。先にも話したが、今のご時勢は正規雇用の採用も中々とれないと言われているが、非正規雇用にしても数少ない椅子を求めて争うことになるほどだ。今勤めている職場に何かしら思うところはあっても、その後のことをきちんと考えた上で次の職場への転職という選択肢に辿り着いている状態が一番望ましい。筆者もそういう意味では職場を辞める際には事前に次を考えて面接を受けるなどして、少しの休暇直後に新しい職場に勤務できるように取り計らってきた。というのも、筆者も何も考えずに辞めてしまって、それこそ1年以上次の労働先が見つからないという経験をしたことがある。その間に面接にも十数件受けたが、全て門前払いを受ける扱いだった。

仕事なんて選ばなければ見つかるだろうと思っている人もいるかもしれないが、そんな理屈はもはや通用しなくなってきていると見ていいのかもしれない。働きたくなって仕事を選ばず、とにかく収入を獲得しなければならない場合もあるが、それさえもままならなくなってきているのは、人が住む社会として根本的な人権が保たれていない事を意味していると取ることが出来る。そもそも人権なんて無いのかもしれないが、社会全体のことを踏まえてみればただ辞めたくなったからと衝動的に退職という道を選んでしまったら、今後の自分に多大な影響を及ぼすことは目に見えている。無論自分に限界が来ているほど、仕事に対して抵抗感があるなら話は別だが、それでもSNEPになってしまう可能性が有るとするなら安心できる術は無いのかもしれない。

退職を決意する事は極めて単純だが、仕事から身を引く事は少し待った方が得策といえることもある。

哀愁のハロワ通い

辞めた後に、人間として生活が出来るかどうか

今いる職場から退職して転職したいと思い、運よく仕事を見つけることが出来たとしよう。しかし中にはかつての職場環境から受けた影響により、転職してもそれまでの労働で受けたトラウマが古傷として疼き、仕事をしたくないという衝動に駆られることもあるという。こればっかりは本人の問題といえるが、嫌なことを体験するとそれを忘れようとするのも実に人間らしいといえば人間らしいが、仕事ではそんな人間的な理屈は通らない場合がほとんどだ。

そのため必ずしも前に経験した職場での影響は決して関係ないとはいえず、それによってようやく解放されたと思っても次の仕事場でも仕事に対してのストレスを感じるようになり、退職してしまう例もある。この場合はその後も転々と仕事を変えることになってしまったという場合もある。

仕事を辞めたくなる気持ちは分かるが、そう考えていざ行動にしても先に待っている事態に対してあまりにもリスクを背負いすぎていると自覚できる人も多いはず、であれば何をするべきかといえば退職をした後でも活動することが出来る資金源を用意してからといった準備をしてから転職という道を選んだ方が安全なのかもしれない。先に紹介した外資系IT企業に勤めている人のように退職金として『1,000万』有るなど環境に恵まれているなら話は別だが、やはり最低でも収入がない数ヶ月間でも過ごせるだけの蓄えがないと辛い。

また健康保険といったものの手続も必要になってくる。転職を希望して訳有り無業者になったとしても、無事に仕事を見つける事が出来る保証もなく、自分の将来に不安という影を指すだけとなる。人間的な生活を求めたい、自分のしたかった仕事がしたいからという理由もあるだろうが、まずは人間として最低限の生活を退職後に送れるかどうかについても考えて行動した方が無難だ。

哀愁のハロワ通い

どうにもならなくなったら

どうしても今いる職場を辞めたいと感じるときは誰しもある、それこそ些細なきっかけから思いが膨れ上がることもある。ただ感情に突き動かされるまま動くのは動物としての本能であり、人間的な理性は感じられない行動だ。そういうときこそ冷静になって、退職する瀬戸際に追い込まれているのかと考え無くてはならない。例外として、既に身体的に何かしらの影響を及ぼしている、それこそうつ病などの精神病を発症してしまっているのであれば、職場にいても迷惑を掛けるだけだ。また仕事に対して多大なストレス、やりがいを感じられなくなったなどの明確な理由が出てきたらやはり退職を選択してもおかしくない状況にあると見るべきだ。

辛いことから逃げるのは卑怯者のすることだと、どこかで誰かに言われた事があるのだが立ち向かうことが勇猛果敢だと評価されることは無い。嫌なことから逃げる事が悪で、現実から目を反らしているといったことをいう人もいるが、どうにもならなくなった状況下を覆すようなことをするのは労働の現場では割に合わない。それこそドラマなどの世界に夢を見すぎているだろうといえるのでは無いか。どうにもならない問題はどこにでも存在する、そしてそれを無理に解決する必要性は何処にもない。仕事から離れたいと心から思い始めたときこそ、退職を決断して良い頃合いだ。

ただ無謀を承知の上で退職をするのは好ましくないため、それなりに準備をする期間など、一刻の猶予もない状態でなければ粛々と耐え凌ぐことも必要。

孤立無業者にならないために

仕事をしなければ生きていけない、この事実がある限り働かなければならないのだが、誰しも一度職場から離れてしまったら『SNEP』になる可能性がある。だが人間、仕事だけをこなしていれば良いと言うモノでは無い、時に自分と冷静に向き合って進退を考えるのも時として重要な手段だ。このサイトではそんな現代に巣食う労働に付きまとう闇について考えるサイトだ。