まずは冷静になって

辞めるにしても時期を見計らうことも計略の1つ

仕事に対して嫌気が差していることもあると思う、しかしそれでも一瞬の決断でもしかしたらという事もある。就職活動をしているとどうしても急ぎすぎてしまうことがある、それこそ採用が決まっても待遇などがよろしくなく、だが予想外に早く見つかったという安心感からここにするべきだろうかと心が動くこともあるだろう、筆者的に言わせて貰うと待遇などに少しでも迷いがあれば結論を導くのは待った方が良い。先日、とある知り合いの話になるのだが、仕事を半ば解雇同然に首を切られたその人は次の職場を探していると、とある企業に採用が決まった。やりたい仕事をすることになるのだが、見ると待遇が何ともお粗末なモノで、どんなに計算しても業界的な平均給与を大きく下回っているという内容だった。この場合、仕事内容が自分のしたいこととマッチしているからここにすべきだという人もいるかもしれない、だが毎日行なう仕事とそれに見合っただけの対価が支払われているとは到底思えない給与に悩みに悩んでいたので、待遇に悩んでいる時点でその職場にいくべきではないと告げた。

それでも悩んでいたが、結局こちらのアドバイスを元に採用の話を断ったが、その直後にはまだ待遇や給与に納得することが出来る職場に出会えたと聞いたので、良かったと思っている。このように、仕事を辞めるにしても次の職場が簡単に見つかる場合もあるが、中々見つからない場合もある。だからこそ冷静になって、自分のやりたい仕事と、どんなに妥協しても最低限毎月生活できるだけの給与を支給してもらえる職場と出会うためにじっとしていることも計画の1つだ。

孤立無業者にならないためにもどんなに些細なことでも判断を見誤れば、大きな問題として発展することもある。そうなると解決することも用意ではなくなってしまう。だからこそ冷静に状況を見極める事は重要だ、退職前でも、退職後でもそうだ。退職をするのはあくまで自分、自分がいなくなることで会社に何かしらの負担を残すことになっても、まずは自分を何とかすることを最優先に考えるべきだ。

哀愁のハロワ通い

求人広告にいつでも自分の求める仕事はないと思う

誰しも感じていることだろうが、求人広告には常日頃から自分が求めている人材募集の掲載がされているわけでは無い。ただ掲載している雑誌も毎週更新するもの、もしくは2週間に一度といったように毎週ずつ変動して行くものとなっているため、就職活動をするとなればそうした情報はどんなときでも収集するのが鉄則、誰しも経験していることだろう。筆者もそういう意味ではアルバイトにしてもなんにしても、求人は毎日見ていた時期があった。その頃はまだネットを利用しての求人募集を利用していなかったこともあり、地域事に募集をかけているテイクフリーの雑誌を利用していたが、本当に自分賀が働きたいと思う仕事の掲載に出会えるまで、相当量の時間を用いたものだ。

ここで語る転職についても同じ事が言える、先に紹介した外資系企業の元社員の例に倣ってみれば分かるだろう。元が就職活動に困らなかったこともあり、また経歴が良かったためにどうして自分が、それこそハローワークを利用しなければならないのかと愕然としていたというが、それ以上にしたい仕事があっても年齢制限という枷により就けなかったというケースもある。彼はその後そうした現状に耐え切れずに、徐々に働くという意欲をそがれていってしまった。こうした例を考えると、就職活動、それも転職ともなればそれなりにハードルが高い事は重々理解してもらえるだろうと思う。

今いる会社を辞めて、次の職場に期待を膨らませるのは自由だが、そもそも次がキチンと決まるかは別としても、それが決まるまでにどれだけの時間を消費することになるかは誰にも分からない。来週決まるか、それも一ヵ月後に決まるか、または半年後かと、就職活動で採用される可能性は等しく同じではなく、総体的なステータスによって雇用されるか否かが決まる。ただその求人も自分がしたい仕事、できる仕事の掲載がいつもされているとは限らないことも重なってしまうからこそ、最低限数ヶ月は生活できるだけの蓄えを備えてから退職という選択肢を取るようにしたいと話している。

最近は別の話題やら問題やらで何かと物議を醸しているハローワークの掲載だが、求人が集まる数は恐らく全国でもトップクラスだろう。ただ一番多いだけに中にはブラックなもの、架空の求人も混ざっているなどしているため、その中から本物を見つけるのはたやすいことでは無い。いつも求人を見なければならないという仕事に駆られるが、自分の将来に左右するとなれば多少なりとも苦労をする必要は有る。

哀愁のハロワ通い

未来の自分を想像し、現実との埋め合わせを計る

転職は言葉で言うほど簡単なモノでは無い、中には知り合い伝で仕事が決まることもあるが、それも会社の内部体制が変更するなどのお家騒動が勃発したら話は白紙へと戻ってしまうこともある。これもSNEPになってしまった外資系企業の元社員の例に当てはまるところだ、こう言ってはなんだか運がなかったと言わんばかりの結末だ。自分の先がすべてレールの上を走るだけに目的地に辿り着ける電車ほど、便利なものではない。その道には時に坂があり、時に傾斜があり、時に穴が開いていたりと、波乱万丈なのが人の生き様だ。

ただそういうことも全部ひっくるめて転職を本格的に考えるのはいいことだ、だからこそ自分が本当にしたいことを考えた上での退職の決意は決して間違ってはいないだろう。ただ求めている未来を手に出来るかは本人次第、自分頼みな部分がある。そうしたモチベーションも持続させられるだけの器量が備わっていなければやはり難しくなる。また何度となく自分の求める労働に辿り着けなくなり、自分の殻に閉じこもるようなことになっては、やはり先行きは明るくはないといえる。

孤立無業者にならないために

仕事をしなければ生きていけない、この事実がある限り働かなければならないのだが、誰しも一度職場から離れてしまったら『SNEP』になる可能性がある。だが人間、仕事だけをこなしていれば良いと言うモノでは無い、時に自分と冷静に向き合って進退を考えるのも時として重要な手段だ。このサイトではそんな現代に巣食う労働に付きまとう闇について考えるサイトだ。