その数は年々増え続けている

ニートを超え、フリーターに匹敵するSNEP

SNEPと呼ばれる人々が増え続けていることは先にも紹介したが、あの数を見てどう感じただろうか。2011年度の計算ではあるが、その時点で既にSNEPと呼ばれる人の数は、定義に当てはまる人々だけをカウントしても、推定『162万人』は存在している。この数字が多いか少ないかと考えたとき、日本という国の総人口からすればおおよそ突出した数値では無いが、決して軽視して良い問題では無い。無業者が増え続けているのは世界もそうだが、日本も例外では無い。ただ無業者と呼ばれる人の中には孤立無援の人々が急増しており、年々増え続けていることを明言する必要もないはずだ。そしてその数こそ、今の日本で問題として取り上げられているニートやフリーターとなっている人々にも同様に当てはまるからだ。

どういうことか、それは現状日本ではニーとは『60万人』存在している、フリーターについては『176万人』存在しているという調査結果を見れば分かるだろう。ニートの数値よりも2倍以上、そしてフリーターの数値に徐々に近づきつつあるSNEP、これがどうして問題ではないといえるだろうか。現在の日本では無業者としてだけではなく、環境から社会から完全に孤立してしまって、誰からもその存在を見てもらえなくなってしまっている人がこれだけ増えていることを、異常ではないと見ることは出来ない。またこうした現状でどうして日本が豊かなどといえるだろうか、社会は常に闘争で渦巻き、何をするにしても勝者と敗者が決められてしまうのは仕方のないこと、それを勝ち抜くためには何をするにしても手段を選んでいる暇は無い。それでも敗者になってしまう場合もある、ではその時点で人間としての人生が終わってしまうのかと聴かれれば、それは違うだろう。だがそこから再度地上の光を浴びるためにどんなに泥水を飲もうが、血反吐を吐くような思いに曝されようが、希望という道標が見えなくなってしまっているのが、今の日本だ。

社会に負けてしまい、そこで全て終わってしまう。誰にも自分を見てもえず、自分の世界に閉じこもってしまうSNEPになってしまう人々、いくらなんでもこれはあまりの惨状だ。これで本当に先進国などといわれるだけの価値が日本にあるのだろうかと疑問視してしまう。ところが問題は解決への兆しを見せる事無く、年々そのような人が増え続けている。

哀愁のハロワ通い

ここ10数年で増え続けている

SNEPと呼ばれる人々は何も突然発生した異常な繁殖力を見せた植物類のようなことはなく、年々少しずつではあるが確実にその数を増やし続けていった結果が数値として顕著になっている。特に孤立無業者が増え始めたのは2001年から2006年までの5年間で、この時期は孤立無業者が増える一方で非孤立無業者は逆に数を減らしていった。数こそ増えているが、まだこの時期はそれなりに状況は転じて社会としても安定していたこともあったため、さほど問題として取り上げられることもなかったが、2006年から調査結果期間の2011年においては孤立無業者が急増する出来事が頻発する。リーマンショック・東日本大震災などに見舞われて日本の労働市場に大打撃を与えることとなってしまい、具体的な例として前述の項目で紹介したとあるエリート男性が辿ることとなってしまった道のりになってしまった人々も存在している。

社会的な大ダメージを受けることになったこの2つの出来事により、極度のストレスと精神的疲労などから仕事が出来なくなってしまったという人もいるかもしれない。その状況に追い詰められてしまったが最後とばかりに、社会から縁遠い生活を余儀なくされてしまう、また自分から内側へと引きこもってしまう人もいる。孤立してしまったが最後、誰かにその手を引かれることがないと積極的に表と交流することを必要としないばかりか、自分のことを貶めてしまうといった傾向にあるという。増え続けているSNEPと呼ばれる人々は時として望んで仕事を辞めたが次の職場が見つからずに時間経過してしまったものもいれば、止むに止まれず仕事からはなければならずにその後進展もないまま現状維持が継続してしまった人もいる。

哀愁のハロワ通い

SNEPだけではなく、働くことを諦めていない人は多い

統計的に見てニートやフリーター、そしてSNEPなどと呼ばれている人々の中には働くことを諦めていない人もいる。そしてその感情がとても強いのがSNEPの人々であると筆者は分析する。年齢的な面で考えると、まだまだ働き盛りな人々、社会から孤立してしまったが元は労働に対して何の抵抗もなく、また自身のやりたいことを明確化している人が多いと考えている。元外資系IT企業に勤めていた男性も、働きたいと思っているが機会に恵まれなかったために現状に甘んじることになってしまったが、もしもタイミングと自分の求める職業に出会えていたら恐らくSNEPにはならなかっただろう。

ニートとして働くことを求めていないと思われている人の中には、労働を生きがいとしたいと真剣に考えている人もいる。また自分の未来に対して悲観的にならないで機会を伺っているといった人もいる、そうした非求職者でありながら労働することを目的と定めている人のことを『レイブル』などと呼んでいる例もある。ただ行動に移せればいいのだが、その充電期間がすでに何年も経過しているとするなら、体裁だけを取り繕っているだけで余計に労働への意欲を削ぎ取っている言葉だろうと分析することも出来る。

厳しいことを言わせて貰えば、働こうと思ったならどんなに心が折られようが、罵倒を浴びせられようが、また人間として否定されるような事があっても、負けない事が大事だろう。誰しもそういった言葉を受けるときはある、それで傷つく事はあってもそこで立ち止まってしまって、何も出来なくなってしまわないように根を張るのは自分だ。確かに働く事が困難になっている世の中ではある、非正規雇用にしかなれない人もいれば、正規雇用にありつけても仕事内容に恵まれず、精神的に追い込まれてしまうケースさえある。どうしてこんなにも息苦しく、そして働きにくい社会になってしまったのかとただ思うばかりだ。

孤立無業者にならないために

仕事をしなければ生きていけない、この事実がある限り働かなければならないのだが、誰しも一度職場から離れてしまったら『SNEP』になる可能性がある。だが人間、仕事だけをこなしていれば良いと言うモノでは無い、時に自分と冷静に向き合って進退を考えるのも時として重要な手段だ。このサイトではそんな現代に巣食う労働に付きまとう闇について考えるサイトだ。