エリートといわれる人々も陥る

どうして孤立してしまうのか

SNEPなどと定義される人々については簡単に紹介はしたが、そうした人々の中にはエリートという肩書きを身につけた者もいる。本来なら例えそうした人々は経歴から何処にいっても採用してもらえる有能な人物であると、そんな風に考える人もいるだろう。仕事が出来る、どんなプロジェクトも任せられるだけの統率力、専門的な知識に長けたエキスパートなどといったスキルを持っていれば確かに次の職場についても安泰しているといわれていた時代もあった。だが今のこの時代、経歴だけが優れていれば何もかもがうまく行く時代では無い、またいくら能力があるからといっても次の仕事場に属するにしても、何かしらの枷を背負っていると錯覚してしまう人もいる。

どういう意味かというと、いうならばかつて自分がこれだけの大企業に就職しており、責任ある仕事を数多くこなしてきたという自負を抱えているからだ。もちろんこれは悪いことでは無い、ただだからこそこうした自意識の高さが次の職場に転職する際に障害として立ちはだかってしまう。筆者から言わせるとこれは誇りと感じることも出来るが、一方で自身に対して不遜なまでのプライドを持ってしまっていると分析できる。悪いことでは無い、ただ次の仕事を見つけるだけで苦労を擁するこの時代で、そんなものは余計すぎるに持つに過ぎないからだ。

正社員として勤務することはもちろん大変だが、今のこの時代では非正規雇用でさえ次の仕事を見つける事が大変だという事実を知っているからだ。一見すると非正規雇用なんてどんなものでも簡単に採用されるだろうと考えられているが、そんなものは幻想に過ぎない。結局正規だろうが非正規だろうが雇用問題は所詮椅子取りゲームだ、その限られた椅子に座れるかどうかは運とタイミングもあるが、自身の能力が認められるかどうかに関係している。正規に比べて非正規でそんな条件は重たすぎるが、結局後から入ってくる人間に対して仕事を教える際、能力が最低条件揃っていることはどの職場でも望ましいのは言うまでもない。そう考えれば自分は元エリートとして活動していたから大丈夫などという自信を持っている時点で問題外だということだ。

哀愁のハロワ通い

3年働いていないエリートの現状

とある外資系IT企業に勤めていた未婚男性がいる、その人物は企業に属している時には販売営業チームのサブリーダーを勤めていたことも有り、年間収入も1,000万円を超えていた時期がある。時代と風潮から言うならば勝ち組などと揶揄することが出来るが、彼はその後辿ることになる通過点は将来的な目線で言うならば非常に悲観的なものだ。きっかけとなったのは社内で行われた早期退職者の募集がかけられたことで、6年間勤めていた会社に対して何の未練もなく退職という道を選んだ。正規の退職手続となっているため退職金も支給され、その額は軽く年収並みの金額が支給された。この時点で外資系に勤めていた甲斐があったというが、単純計算で考えるとあまり長く就業期間のブランクは空けられないのも事実。いうならば、次の職場を決めるまでに『1,000万円』で耐え凌ぐしかないと言うことだ。

そんなの簡単だろうと考えるが、大きなお金が入ってきたら人というものは欲望の存在のため好きなように使いたがるものだ。これだけあるからちょっと位贅沢をしてもいいだろうと考える人もいるだろう、この男性も退職金の額と独身という立場だったこともあって海外旅行を自由気ままにしたいという夢を実現させるために、長い休暇を取ることにした。

男性はもちろん次の職場に関する手配も行ってから旅行に出かけた、それも知人の伝により営業部長という役職が用意されていたのだから申し分ないだろう、そのままであればエリートとしてまだまだ活動していけたといえるが、ここから彼の転職に対する先行きが不安という歯車によって狂わされることとなる。実は転職するはずだった企業はお家騒動のため会社の体制が突如として変わってしまったため、旅先で悠々自適な旅行を楽しんでいる最中に届いた報せには、営業部長というポストの話は白紙と化した。

その後本来なら勤めるはずだったが改めて採用は出来ないと帰国後に言われたため、慰謝料として受け取るはずだった給料の3ヵ月分とそこへ200万円を上乗せした代金ですべてを水に流した。お金に困らないようにと取り計らったのだろうが、これだけの資金があって、自分の経歴があれば直ぐに次の職場など見つかるはずだろうと考えていた。そしてここから始まるのが、転職という問題に苛まれる一人のSNEPとなった瞬間となる。

資産とプライドが邪魔した結果

ここで男性にとって枷がプライドだけでなくもう1つ増えた瞬間だった、それは慰謝料というものだ。このお金と退職金を含めれば贅沢な暮らしとは無縁の質素な生活をしていれば生活に特別困ることは無い、だからこそ求職活動についても行き急ぐこともなく、自分を必要とする企業はあると自負していたという。しかし現実が彼に突きつけたのは何処にでも見られる職に困る人と同じ、何処からも採用されることはなかった。以前から職探しには困った事はなく、また男性はハローワークを利用したこともなく、自分がどうしてこんなところを利用しなければならないのかとショックをうける。さらに追い討ちをかけるように求めている職について年齢制限に引っかかってしまい、応募できる企業の数も限られている状況になってしまう。

そんな状況で彼が見つけた答えが自分にはまだまだ蓄えもある、だから焦らず自分が納得できる企業があるまで待とうという待ちの姿勢をとってしまった。もはやいうこともないだろう、その後何処に就職することもなく、既に職を失ってから3年が過ぎた状態となってしまう。現在は本やDVDといったものを閲覧する時間に充足しているというが、付け加えると彼には外界と接するための人間関係が存在しないことをこの時になって自覚させられたという。

無論本人もこれではいけないと考えているらしく、スキルアップのために独学で語学の勉強をしているというが、不透明な状態はいまだ継続中だ。また男性はこんなことも語っている。

・本当は仕事がしたい、だが今の社会は失敗すればそこから転落するだけの人生で、再度チャレンジするのが難しい

かくも非常に同感だと感じるのは筆者だけでは無いはず、今の日本が誰のために存在しているのかと考えさせられる瞬間でもある。

哀愁のハロワ通い

エリートだろうがなんだろうが、関係ない

外資系エリートが仕事もなく、家でただじっと生活するしかなくなってしまったが、何も珍しいことでは無い。他にも親の介護とリーマンショックによって大手証券会社でアナリストとして働いていた者、企業をするために退職をしたが失敗してしまった大手商社マン、事故によって長期療養を余儀なくされた銀行員といった人々も、前述の男性と同様にSNEPとなってしまうケースが多く見られる。

孤立してしまう無業者は何も元から状況に恵まれなかった人だけでは無い、環境が整っていながらも社会情勢に振り回されてしまい、仕事を辞めなくてはならなくなった人も該当するとなれば、誰にでもその危険が付きまとっていることだ。考えれば考えるほど空恐ろしくなる、しかしこれが今の日本だということを自覚しなければならない。

孤立無業者にならないために

仕事をしなければ生きていけない、この事実がある限り働かなければならないのだが、誰しも一度職場から離れてしまったら『SNEP』になる可能性がある。だが人間、仕事だけをこなしていれば良いと言うモノでは無い、時に自分と冷静に向き合って進退を考えるのも時として重要な手段だ。このサイトではそんな現代に巣食う労働に付きまとう闇について考えるサイトだ。